間違って使ってしまいがちな慣用句みたいなもの「良くも悪くも」
変わった悪い部分というのはなんだろう?
泉氏は、誰ひとり取り残さない社会を目指すという文脈の中で「障害を持つ人が国会議員の中に入ったことで、良くも悪くも変わった」と力説した。
この意味に答えることができる人はいるのだろうか?
この記事の角谷氏は答えを類推して批判してるように読める。
「この『良くも悪くも』とは、どういう意味で言ったのかを問われるべきです。障害者に対する見えない意識が言葉に出てしまった可能性がある。
たぶん泉氏は何も考えていなかった気がする。
使ってしまいがちな慣用句「良くも悪くも」
麻生氏の舌禍と並列して記事にしてますが、流石にそれとはレベルが違いすぎて大王麻生氏に失礼かと。
おにぎりに海苔は本当に必要なの?
どうでもいい話
具材が入っていようがいまいがおにぎりに海苔なんて不要だと思うようになった。
かつては海苔があったほうがリッチで旨いと信じていて、何の躊躇いもなく海苔を巻いたおにぎりを食っていたが、最近あることが気になって海苔が邪魔になった。
ある日、海苔巻おにぎりを食っていると米の味がいまいちだと感じた。なんだか理由はわからないが、海苔の風味ばかり口に広がり米の旨味が無いように感じた。何食ってるかわからん状態。
一旦海苔の風味が口に広がるといつまでも海苔の香りが残り、おにぎりの白飯部分を食っても何食ってるかわからない。
おにぎりに海苔を巻くと米の味はするが旨味を感じることができない事に気づいた。ほぼ海苔の風味邪魔されて旨くもない米粒と海苔を混ぜて食ってる気分になる。
その結果、海苔を巻いてないおにぎりしか食わなくなった。
いい米だろうが安い米だろうが海苔のない米の旨さを思い知った。
思い返せば、海苔は白飯の味に飽きた頃に味変させて食っていたんだ。
ほぼ海苔の味で流し込むように。海苔で食ってるときは海苔の味がすればよいのだ。米の味は殆ど意識してなかった。
米の旨味をじっくり味わうには海苔は不要だよね。というお話
ちゃんと記事を読めば、記者を叩く前に不自然な記事内容に疑問が湧くはずだが
午後4時半ごろ
同署によると、女性記者は22日午後4時半ごろ、同市の旭川医科大の構内で取材中、同大の職員に発見され、この職員に現行犯逮捕された。
午後3時50分ごろ
同大は、同日午後3時50分ごろ報道各社にファクスを送り、新型コロナウイルスの感染防止措置として、記者団の取材に応じる午後6時ごろまでの間、記者を含めた学外者の立ち入りを原則禁止すると伝えていた
各社FAX送信した時間には、記者は既に大学構内か近辺に到着している可能性が高い。
既に学長会議が開催中であり新型コロナ感染防止措置なのに、午後3時50分ころにFAXというのは少々納得がいかない。学長会議は当日午後に急遽決定したことではないのは記者の行動から想像できる。
職員が現行犯逮捕という表現も凄いと思うが。
独裁者の国威発揚であってもアスリートは自分の可能性を信じているのだろうか
やりたきゃ勝手にやれという思いしかない。
世界中が問題を認識していながら解決する術を持たないって愚かだよね。
驚いた。2度目の東京五輪招致は「アメリカ国歌を何度も聞いて、本当に悔しかった」という石原慎太郎の個人的な憤慨から始まったのである。
そこに役人が「復興五輪」と味付けした。たとえば被災地での聖火リレーや五輪宝くじの収益金の分配など、五輪を通じて復興を後押しする“報告書”も作成された。
ところが…
《13年9月に東京五輪開催が決まると、都が「復興五輪」へ突き進む姿は見えなくなり、報告書はいつしかホームページから削除された。事業が実現したかの組織的な検証もされず、今では五輪関係者でさえ報告書の存在を知る人は少ない。》(毎日新聞・同)
なんと招致が成功したとたん「復興五輪」は消えていたのである。
そもそも女優が裸になって濡れ場を演じる必要性とか無いんだと思う
性の営みを表現したいのか、エロで話題を呼びたいのか、監督の助平心くらいしか思い当たらない。今までも有名女優が駆け出しの頃無意味に脱がされた映画はたくさんあるが、大した映画でもない。
「〇〇が体当たりで挑戦。問題作!」ってだいたいつまらん。
一体何を表現したかったのか。
ただの脱ぎ損だと思う。
現場で全員がスタンバイしてて、もはや女優がイヤって言えないような状況に追い込んでいくわけでしょう。そんなフェアじゃないことが、「監督の腕次第」みたいな言い方で、今に至るまで、あちこちの現場で起きているわけです。