独裁者の国威発揚であってもアスリートは自分の可能性を信じているのだろうか
やりたきゃ勝手にやれという思いしかない。
世界中が問題を認識していながら解決する術を持たないって愚かだよね。
驚いた。2度目の東京五輪招致は「アメリカ国歌を何度も聞いて、本当に悔しかった」という石原慎太郎の個人的な憤慨から始まったのである。
そこに役人が「復興五輪」と味付けした。たとえば被災地での聖火リレーや五輪宝くじの収益金の分配など、五輪を通じて復興を後押しする“報告書”も作成された。
ところが…
《13年9月に東京五輪開催が決まると、都が「復興五輪」へ突き進む姿は見えなくなり、報告書はいつしかホームページから削除された。事業が実現したかの組織的な検証もされず、今では五輪関係者でさえ報告書の存在を知る人は少ない。》(毎日新聞・同)
なんと招致が成功したとたん「復興五輪」は消えていたのである。